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薬医門は門柱(本柱)の後ろに控柱が2本設けられた門の 総称です。 社寺だけではなく城郭や邸宅にも多く使われた門です。 名前の由来には、 医院において、門扉の隣に出入りが簡単な戸を設け、 患者の出入りを楽にした医院の門という説もありますが、 その他にも諸説あげられています。 北見邸の門は明治初頭に建てられたようだが詳細は不明。
海水浴や魚釣り、アサリ、ハマグリなどの潮干狩の本場、横浜市金沢区富岡の地は明治10年代になると中央政界の要人が訪れるようになり、やがてこれら要人たちの別荘が建てられました。初代内閣総理大臣となった伊藤博文も野本作左衛門の家を仮寓として、不平等条約の改訂問題や、自由民権運動に関する案件、又は、憲法作成作業(憲法草案)の諸問題などの検討会議が、都心を避けて密に行われるようになりました。 その仮寓の庭園にあった「不老門」の碑を当時、庭師であった植周造園の二代目大胡親方が譲り受けて北見邸へ移設。歴史ある碑と言われています。
枯山水は水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式。 北見邸の庭は昭和30年代、植周造園の二代目大胡親方による設計、造園。四季折々の花木が愉しめます。
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